「日本語を叱る」加賀野井秀一(2006)を読んで、ルー大柴さんの「ルー語」を考える。

評価 ☆☆


  • 前書き

私は日本語が大好きです。
日本語(第一言語)が好きだから英語(第二言語)を勉強していると言っても過言ではありません。

フランスで実際生活したことがある本書の著者もまた、日本語が好きなのでしょう。
そして、好きな日本語をこのまま放置していては駄目だという想いから、どうしても日本語に一言物申したくなったのでしょう。

外国で生活したからこそ、甘ったれた日本語に対して愛を持って叱りたいという気持ちはわかるんですが、 本書の問題は徹底的に叱りきれていないという点です。
叱るというより「ちゃんと意味理解してる?意味も理解してないでそんなコトバ使ってるとタコツボ社会の閉ざされたコトバになっちゃうよ。」という苦言を呈するかんじなんですよね〜。
以下が私が感じたことです。

    1. 聞こえはかっこいいカタカナ語と漢語におけるルー大柴化。
    2. 自分でもよく理解していないコトバを無闇に使うな。
    3. 私たちがこれまで持ちあわせていなかった概念は積極的に外から取り入れようと主張する反面、無理やり日本語に訳されて違和感を感じる時もある。

みなさん普段の会話でどれだけ横文字(カタカナ語)を使っていますか?
私は昨日服のお買い物に行ったのですが、そこでの会話

店員「何のアイテムお探しですか?」
私 「んー。ズボンを探してるんですけど、これ試着してもいいですか?」
店員「では、あちらのフィッティングルームでお願いします。」
私 「(試着完了)こういうダボってしてるズボン最近よく見るんですけど、今季のセールって、こんな感 じのが売れてるんですか?」
店員「そうですねー。サルエルとかジョッパーズパンツはトレンドというより、もう定番って感じですね。やっぱりオールシーズン着れるのが強みですし。特にお客様の履いているジョッパーズなんか人気のアイテムで…云々」

いかがですか?店員さんの発言ってなんかカッコイイですよね(*´∀`*)。
私なんかサルエル、ジョッパーズなんて初耳なんで、試着室でググりましたよ(ノ´∀`*)


さて、オサレファッション業界では「ズボン=パンツ」「試着室=フィッティングルーム」「服=アイテム」という語彙が通説っぽいです。
本書の筆者はこのような、「言い換え可能な日本語があるにも関わらず、聞こえはカッコイイからカタカナ語を使う」があまりにも氾濫されていると苦言を呈しています。
これをネタにしているのがルー大柴さんですよね。
「よくわからないワードをオーバーユーズするのはジャパニーズのエクスプレッション方法としてよくないYO」
ってな具合で。


同じく漢語もそう。
とにかく漢語を使いまくれば頭よさげに見える風潮があるとのこと。
ふむ。
例えば、政治家の使う「遺憾」は「sorry」なのか「regret」なのかハッキリして、簡単に言い換えれるよねという主張。
記者会見での発言1つとってもhttp://goo.gl/MR5zOそうです。

不安や迷惑を感じる人たちが現にいる事態になったことを極めて遺憾に思う。

ルー語化
→Anxietyやtroubleをfeelするpeopleが現にいるsituationになったことをvery 「sorry/regret」に思う。

ここだけ切り取ればsorry/regretどちらとも取れますね〜。
筆者が言いたいことは、こういう公の場での発言では、漢語がたくさん使われるケースが多いですが、一知半解なコトバを使いすぎると「結局、何が言いたいの?」となってしまいますよーってこと。


  • 自分でもよく理解していないコトバを無闇に使うな。

一知半解なカタカナ語、漢語が氾濫するのは日本語にとってよくないよという意見には賛同します。
誰もが通じると思ったら大間違いだし、どちらともとれるコトバはハッキリすべき。
つまり、本質を理解しないで発言しちゃうとそのコトバは形骸化しちゃうよってこと。
例えば、
フリーマーケットはfree market(自由市場)じゃなくてflea market(蚤の市)だよ。
スイートルームはsweet room(甘い)じゃなくてsuite room(一続きの部屋)だよ。
ファーストフードはfirst food(一番)じゃなくてfast food(早い)だよ etc。

みなさん、ちゃんと理解して使っていますか?
日本語はひらがな、カタカナ、漢字と3つも組み合わせて使われるのだから、ちゃんとコトバのルーツを意識して正しい文脈で使いましょう。


  • 私たちがこれまで持ちあわせていなかった概念は積極的に外から取り入れようと主張する反面、無理やり日本語に訳されて違和感を感じる時も多々ある。

アイデンティティ(自己同一性)など西洋的な概念はそのまま積極的に取り入れるべきだと筆者は言います。
それも賛同します。
先ほどの店員とのやりとりでも「サルエルパンツ」はどう訳しても「サルエルパンツ」なんですよね。


だ け ど
やっぱり無理矢理の日本語翻訳は違和感感じるときあります。

特に、アカデミックな世界を少し噛じるとそのような違和感によく直面します。
SLAを例に挙げると「intake」は「内在化」って訳されたら、まぁそうなんだろうけど、私の場合、intakeの概念を最初から英語で勉強したからか「内在化」って語が違和感バリバリなんですよね。
もちろん、私もSLAの知識がない友人にはエビデンスやらソリューションやら聞こえのいい単語は日本語を使いますがintakeはintakeのまま説明しています。


  • まとめ

外来語の扱い方って本当にディフィカルトです。
日々新しいコトバは生まれても、「テニヲハ」で繋げればどんなにカタカナ語が濫用されてもルー語のような日本語で成立するから私も「一知半解なコトバ」の使用には注意しないと。