阪神大震災と、アウシュビッツと、時々私のリアリティ

1995年1月17日午前5時46分に阪神淡路大震災が発生しました。
本日は朝から地震関連の番組が放映されていますね。

私は夕方のニュース番組で被災者のみなさんのインタビューや被災地の今の様子など見ていたのですが、何か溢れてくるものがあったんです。
なんでこんな気分になるんだろう。悲しみでもなく、怒りでもない何か。


  • 私にとってのリアリティ

世界各地で天災のニュースは報道されますが、私はいまいちリアリティを感じないんです。
ずっと遠くで起きていることだから?私と直接関係ないから?
申し訳ないけど、これが正直な感想なんです。
阪神大震災もそんな多くの天災のなかの1つでした。

私は関西に住んでいますが、当時私の家はそれほど大きい被害はありませんでした。
食器棚からお皿が飛び出していたりと、その程度でした。
当時は小学生だったので凄いことが近くで起こっているというのはわかっていたけど、そこに特別の感情はなかった。
そして、今日の今日までその感情は変わらなかった。

しかし、本日テレビで震災に関する報道を見て、今までとは全然違う感触がありました。
その時にリンクしたのは去年、イギリス留学を終えてその足で向かったアウシュビッツの記憶だったんです。


私はひとりでアウシュビッツに行ったのですが、そこで感じたことを当時連続ツイートしているので貼っつけます。 詳しくは→http://goo.gl/kJQzr

2010年09月29日(水) 29 tweets

アウシュビッツのあたりは湿原みたいで雨のせいで足場が悪い。泥と水たまりを避けながら歩いたわけだが、ここの冬はマイナス20度まで行くと聞いて愕然とした。収容者は裸足に布一枚で凍死するのも納得。
posted at 04:48:00


展示のなかで一番ショッキングだったのは2トンもの量の髪の毛。女性の髪の毛は丈夫らしく、編み上げてソックスなどに使われたらしい。
posted at 04:53:20


ガイドさんはとにかく詳細に「数」を言う。何年に何万人どういう形で殺されたとか。とにかく信じられない数字が出てくるわけで、とにかく混乱した。
posted at 04:56:03


とにかく数が凄いんだよな。収容者の写真が壁一面にあったり、収容する施設のバラックの数だったり。ここに1日何百人、何千人殺されたのかと思うとなんか途方に暮れた。
posted at 05:05:44


ビルケナウ到着して衝撃だった。「ここはマジでやばいな」って直感的に感じた。とにかくでかい。想像よりでかくて、見えなくなるまで電流金網があって無機質な線路が延々と続いている。雨と霧が重なり、ここはマジで怖いって思った。
posted at 05:09:29


ハンターハンターでいうところの天空競技場のヒソカみたいな感じ。オーラ習得してないと「まだ早い♪」って感じる。とにかくビシビシ伝わってくる何かは霧のせいなのか、この施設そのものなのか判断つかないくらい。
posted at 05:12:18


総括するとやっぱり皮膚で味わえて良い経験ができた。ヒロシマが「核兵器黒歴史」ならアウシュビッツは単純に「殺戮の黒歴史」だろう。ここで亡くなった人のことを考えると本当に胸が苦しいし、ここで殺戮に加担してたナチ軍のことも考えるとまた違う感情を持つ。
posted at 05:17:49


やっぱり帰りのバスでも考えたわけ。いきなり上司とか先輩に「良い物件あるからそこで住みなよ」って言われたからスーツケースと一張羅を着て長い電車の旅の末に到着。そこで「長旅ご苦労さん。シャワー入ってきなよ」って言われたシャワー室がガス室だったら…って考えるだけどゾッとする。
posted at 05:26:04

読み返してもあまり地震とリンクする要素がないかもしれない。
けど、リンクしちゃったんだから仕方ない。
阪神大震災アウシュビッツの私なりに感じた共通点

    1. 罪の無い人が巻き込まれる
    2. 前触れがない

アウシュビッツでずっと考えてたことは「もし自分が同じ状況だったら」ってこと。
考えることが私のリアリティを繋げる手段だ。


  • 仮定法過去しかない。でも、何が出来る?

もうね。いくら考えても仮定法過去しかないんですよ。
「If I were you…」
いくら考えても仮定法過去がグルグル。

それでもあの時に考え続けたことは確かに私の何かを変えた。
今日のニュースを見てそれを確信した。


  • あなたのその痛みはわからないけど、あなたが嬉しいことは私も共感できる。

ニュースを見ていたらある被災者のみなさんは「忘れてはいけない」、「語り継ぐ必要がある」と言う。
しかし、私は当事者でもなければ、今まで被災に関心がなかった人間だ。

じゃあ、何が出来る?
ある被災者の方が「生きていることに感謝している」と嬉しそうに言っていた。
そこで確信したこと。

『あなたがいくら痛がっていても私はその痛みの程度はわからないけど、あなたが嬉しいってことを伝えてくれると私も同じくらい嬉しい』

これから伝えなきゃいけないことは、被災の痛みじゃなくて、そこで得た命への感謝じゃないかな。