第2回 「英文法指導」 [twitter:@ns596]

英語教育ブログみんなで書けば怖くない!企画(http://d.hatena.ne.jp/anfieldroad/20111001/p1)に参加中!

お久しぶりです(;´Д`)
日々の仕事の忙しさのおかげ(せいで)ブログの更新がバッタリ途絶えてしまいました。
が、第1回にも参加させてもらっているこの企画!参加せねばなりません!

ですが、本当に忙しくて、まぁ簡単なことしか書けません…。・゚・(ノД`)・゚・。
もし掘り下げる内容があったら追々ブログに書くとして現在の私の「英文法指導」とは
teaching < instructionという結論に至りました。
以下が詳細です。

まずは私の現在の立ち位置の紹介

コンテクストが前提にないと話にならないのでご紹介。

  1. 私自身はイギリスの大学院修了して某学習塾に就職した新卒講師。
  2. 中学生を対象に英語を教えている。
  3. 生徒の学力は関東圏のいわゆる超進学校を目指している(Advanced-level)レベル
  4. 指導している内容は主に英文読解と英文法

一問一答形式

書きたいことはたくさんありますが書くことを絞るために@anfieldroad1さんが提示してくださった8つの論点に一言二言で答える形で参加します。

英文法指導の際にこだわっていること

とにかくelicitation feedbackを意識しています。
塾のニーズとして受験に勝つための知識は必須です。
ですのでmeta-linguisticな知識(文法の知識を生徒が自分の言葉で説明できる力)が必要となるわけです。
例えば

私:このmakeって何?
生徒:……
私:し…
生徒:(ハッ!)使役動詞!

極端な例ですがこんな感じ。
要するに既習事項をリマインドさせるためにこちらがある程度の情報を与えて生徒に気づかせるという作戦を多用しています。

日本の英文法指導の課題

受験英語で身につけた知識をきちんとspeaking,listeningで運用させるようにすること。
この1点につきると思います。

「なにを」「どこまで」教えるべきか

極端な話、リミットはないと思います。
私は中学生を教えていますが、学習指導要領から逸脱した知識(使役動詞や仮定法過去)もバンバン教えています。
(でないと超難関私立校には受からないからです。)
生徒の学力はもちろん考慮すべき点ですが、私の受け持つ生徒は接続詞のifがわかれば仮定法過去も理解できます。
(あくまで「理解」というレベルであり「運用」までは難しいですが…)
ですので「中学英語で充分」は疑問ですが「英語を運用するには中学生でも充分可能」というのは嘘ではないです。

文法は「どう」教えるべきか

超難しい題材ですね。。。一言二言では難しいという答えは逃げでしょうか(´・ω・`)
強いて言うならばhow to teach,what to teach,いずれにせよ「楽しく教えるべき!!」

「なぜ」英文法指導が大切なのか

塾講師としての意見:スポーツでも遊びでも何でもそうだけど与えられたルールを理解して試合に臨まなきゃいけないんだぜ。
個人的意見:言語の違いっておもしろいよね!

「なぜ」英文法指導は不必要なのか

第一言語以外を学びたいなら文法は必要です。

英文法を学んでおいてよかったこと

一番最近感じたことは、塾講師として働き始めて「受験英語」を再勉強し始めたら留学前よりリスニング力が格段に上がったことかなー。
つまり、4技能は結びついてるんだと実感したこと。

コミュニケーション活動と英文法

大切です。私は受験で勝つために必要な知識を最短距離で指導しているわけですが、もし許されるならexplicitに教えたことを場面なりを設定させてきちんとproductionまで結びつけたいと思っています。

まとめ

あくまで塾講師としてまとめますと、私が行なっている「指導」とはteachingでなくinstructionであるということ。
OEDでは

  • instruction: detailed information on how to do or use sth
  • teaching: the work of a teacher

とあります。
ってことで私は教師でなく講師なわけです。
教師としての教授でなく、
「詳細な情報を与えて」それをいかに「入試で使わせるか」を指導しているわけです。
色んなことを思いますが今は受験英語で日々勉強しています!

 第1回 私の英語学習歴 (@ns596)


 [twitter:@anfieldroad2]さん発案の『英語教育ブログ』みんなで書けば怖くない!企画に合わせて書こうと思います。

 私も企画の第1回目テーマを決める会議に参加したので、個人的に思い入れも強くこの企画がドンドン広がっていけばいいなぁなんて思っております。

 「英語学習歴」を振り返ると、「衝撃的な参考書との出会い」でも「人生がひっくり返るほどの影響を与えてくれた人物との出会い」もない。さらに、 学習塾・予備校に頼った記憶がないので「〇〇式英語攻略術」なんて無縁であった。だから「英語学習歴=日常の小さな出来事の履歴」になっていて、受験とは無縁で本当に「なんとな〜く」英語を勉強してきたなぁと再認識した。別に英語は得意じゃないけど、ゆっくりでも歩いてきたのは誇れることかもしれないな。
 一応、学習の転機(太字にしてます)に焦点を当ててまとめてみた。

  • 中学校 
    • 英語なんてアルファベットの羅列でしょ の巻
  • 高校
    • 1年生 劣等感の逆襲 の巻
    • 2年生 ALTと香水 の巻
    • 3年生 「S V Oストラテジー」 の巻
    • 3年生夏休み 予備校に行かない孤独と強運  の巻
  • 大学
    • 1年生 蒔かれた反骨精神が開花する の巻
    • 2年生 初めての留学(駅前だけどね!!!) の巻
    • 2〜3年生 初めての海外留学(駅前留学校斡旋だけどね!!!) の巻
    • 3年生 ワーキングホリデーから大学院留学へシフトチェンジ  の巻
    • 3年生〜4年生 IELTSの襲来と、装備としての「英英辞書」 の巻
    • 4年生夏休み 能動的海外語学研修の結果はIELTS speaking5.0(英検2級レベル) の巻
    • 4年生後半から卒業まで 大学院合格しても残る不安 の巻
  • 英国大学院
    • 大学院準備コース  英英辞書+英語で書かれた英文法書 の巻
    • 英国大学院にて  how to learnからwhat to learn の巻
    • 大学院修了して 「ナントナク英語」からの脱却 の巻
  • まとめ
  • 中学校
    • 英語なんてアルファベットの羅列でしょ の巻

 まずは当時の学力を紹介しよう。
 公立中学校で部活に励む毎日で定期テストは5教科平均70点の学力。英語は70点〜80点を行ったり来たりで3年生の時に入った学習塾でも4クラス中下から2番目のクラスだった。部活の同級生は合計12人いたのだがそのうち8人は区内のトップの公立高校に行ったので、割合的に仲間内で私は劣等生の部類に属した。
 中学校時代は英語を人並み(70点取れるくらいに)に勉強した。学校は個性的な(変な)英語教師ばかりで1年の時は「教科書全文を立って音読」をさせられ、2年生の時は「I like baseball(野球のジェスチャー付き)」という先生のモノマネをよくしていた。3年生になると塾に通い始めたおかげで点数は伸び始めたが「詰め込み教育」というより「点数取らないとどーなるかわかってるよな?」という「追い込み教育」であって常に点数を取ることばかり熱く熱く語られてウンザリした。
 中学1年生にアルファベットをペンマンシップで練習した際に「英語なんてアルファベットならべるだけ」と強く思った記憶がある。文法や規則を理解するというより、とにかく単語力で勝負したし、それで実際に70点くらい取れた。
 結局、友人とは1ランク下の中堅私立高校に専願で入学。

  • 高校
  • 1年生
    • 劣等感の逆襲 の巻

 当時の我が母校には下から標準コース、国際コース、英数コースとあり、私は標準コース専願で無事に合格した。中学時代の劣等感を引きずって、高校入学したので「高校では勉強しなきゃ」という情熱1割、「中学の同級生を見返してやる」という反骨心9割が勉強のモチベーションだった。
 1年生の時は本気で勉強した。とにかく暗記暗記暗記暗記暗記。英語に関しては「単語を暗記しまくって並んでいる文章読めば、だいたいの意味はわかるストラテジーを継続した。そんなわけで定期テストはどんな科目も暗記だけで乗り切った。おかげで学年で標準コース内1位をゲット。通年で5位以内を維持したおかげで2年生からは標準コースから英数コースにランクアップできた。

  • 2年生
    • ALTと香水 の巻

 2年生は英数コースにクラスチェンジしたわけだが、標準コース学年上位の自尊心は「上には上がもっといる」という英数コースの現実のおかげで、見事に出る杭は打たれたわけである。コース名でわかるように英語と数学に力を入れるわけだが、私は数学が大の苦手で2年生からはいつも赤点か、赤点ギリギリばっかりになった。一方、英語は単語テストなど小テストを真面目にこなしておけば試験前に勉強しなくてもそれなりに点数が取れたのだ。つまり1年生で培ったストラテジーに加えて「教科書の内容を理解」すれば問題なく点数が取れたわけだ。
 2年生の時に初めてALTというガイコクジンのもとで授業があった。リスニングの授業がメインだったが、ハッキリ言って何を言っているのかチンプンカンプン。当時の授業で覚えてることと言えば「ALTの先生の香水がキツイ」ことくらい。その当時、音声として英語に接するのは洋楽を聴くくらい。ニルヴァーナを子守唄代わりに聴いていた私は特に音と世界観にのめり込んだ。歌詞を理解するというのも英語学習の入口だったのだが、音楽の歌詞はまだ単語暗記ストラテジーが幸いにも通用したのだ。そして、ALTの生の英語はハッキリ言って難しすぎて「英語を聞く、話す=難しい」の方程式は確固たるものとなった。

  • 3年生
    • 「S V Oストラテジー」 の巻

 3年生になって自覚したことは「英語は得意じゃないけど、他教科に比べてマシな点数が取れる」ということだった。そんななか英数コースは徐々に大学受験まっしぐらモードにシフトチェンジしていった。私は2年生の時に〇〇塾の模試において数学で全国で最下位より1つ上(大阪弁でベベツー)を見事に取ったので、大学は数学受験のない私立大学1本に絞った。
 私が入学する1年前に国際コース(半年or一年の留学必須)が新設され、学校全体が英語に力を入れ始めていた。そんなわけで交換留学制度も導入されたのだが、3年生が始まってすぐに私は友人に誘われてその交換留学へ申し込んだ。誘った友人をよそに最終試験まで進んだのだが、あえなく撃沈。その当時そこまで海外に行きたかったのか今でも不明だが、「試験に落ちた」というのは悔しいもので、そこで芽生えた気持ちは「いつか絶対に海外に行ってやる」という得意の反骨心だった。
 さて、3年に入ったら「志望校」と「志望学科」というものを決めなくてはいけない。私はいたって簡単に決めた。「志望校=関関同立」「志望学科=英語科」以上。関関同立は関西では有名な私立大学だから。英語学科は一番マシな教科が英語だから。
 その当時は学校指定の教科書と問題集しか使ったことがなかった。単語はターゲット、熟語はネクステージ、文法は基礎英文法問題精講の3点セット。学校の英語の先生は「この3点セットをやってれば入試は余裕」と言っていたのでこれらを集中的に頑張った。加えて当時の私にとって転機になったのが超英文法マニュアルという本。(今読むとあんまり感心しない)この本を簡潔に言うと英語を「S V O」と「S V C」だけで説明するというものだが、当時の私は悟ったわけです。
「そうか英語はS V OorC で構成されて、さらに足し算のように後から説明を加えてるだけなんだ!」

  • 3年生夏休み
    • 予備校に行かない孤独と強運  の巻

 受験で一番大切な3年生の夏休み到来。同級生が予備校に通い始めているなか、私は予備校という仕組みと雰囲気が大っっっっっっっっっ嫌いだったので意地でも通塾せずに受験してやるというひねくれ者だったのです。英語に関してはほとんどこの「SVOストラテジー」で問題に挑みました。夏休みは自宅学習に勤しんだわけだが、結果的に夏休み明けの模試では英語しか点数が伸びていないという始末。自己分析するまでもないのだが、自習だと自分が一番苦痛と感じない科目しかしないってのは当然の結果だった。
 ○会で自習したわけだが、当時(高3の夏)の私の平均偏差値は○会いわく33くらいだった。予備校に通っていない私は世間の受験ムードをいっさい感じず、我が道をひたすら歩んでいたのだが、秋ごろに一通の吉報が入る。いろいろあって自分が指定校推薦の枠に該当することになり、アレヨアレヨ(ここは複雑なので割愛)と東京の某私大に合格しちゃったわけです。


  • 大学
  • 1年生 
    • 蒔かれた反骨精神が開花する の巻

 そんなこんなで英米文学科に所属しちゃったわけだが、なんせ本来の自分の偏差値より3ランクくらい上の大学に入っちゃったわけだから周りは英語が出来る猛者達だらけ。特に一番ショックだったのは最初の必修科目のクラス分けだった。うちの大学は必修科目でReading, Listening, Speaking, Writing全てが独立した科目として組み込まれており、いま思えば非常に体系的なモジュールだった。
 当然私は4技能全部一番下からスタートしたわけだが、英語がデキル生徒(特に帰国子女)は飛び級のように上のクラスからスタートできて必然的に必修科目が終わるのが一足早くなるのだ。もちろん外国人が教えるのがほとんどで、例えばWritingの宿題はBook reviewやJournal writing(毎週3ページ以上交換日記書く)などやる気のある生徒はグングンと力をつけていった。一方、テキトーに入学した私は東京弁すら話せないという劣等感で押しつぶされそうになりながら嫌々与えられた課題をこなす日々。その時に高校生の時に芽生えた反骨心がとうとう花開いたのだ。
 「あいつらに追いつくには留学しかないんや!!」

  • 2年生 
    • 初めての留学(駅前だけどね!!!) の巻

 教職課程科目の関係もあり1年〜2年生と選択科目として生成文法や音声学など、いわゆる英語学概論を(嫌々)勉強した。今まで英語を5分以上話したことのない私にとってこれらの理論をもとにした英語教育は今振り返るとは非常にありがたく感じている。文法に関しては「SVOストラテジー」で乗り越えてきた自分に樹形図など概要だけでも勉強できたのは新鮮だった。さらに、音声に関しても自己流で開発する前にIPAや英語の音声面の特徴を(当時は嫌々だったが)勉強できたのは後に留学して発音に関してはあまり指導されなかった要因の1つだろうと思う。
 さて、2年生の夏ごろに父親に頼み込んで海外へ行きたい想いをぶつけた。そしてまずは駅前留学して力をつけたいという安易な大学生。最初はアメリカに住んでいたという日本人のレッスンだったが、今まで「ナントナク英語」で生きてきた私は話したいことが英語で出てこないという一つ目の壁にぶち当たった。行き先を尋ねられたら目的地を英語で説明するというタスクも全然できない。そんなレッスンが続いて決断!
 「やっぱり海外に行くしかないんや!!」

  • 2〜3年生 
    • 初めての海外留学駅前留学校斡旋だけどね!!!) の巻

 駅前留学を続けるとだんだん海外に行きたくなってきた。そこで両親に頼み込んで2年生と3年生の間の休みに1ヶ月間オーストラリアのブリスベンに語学留学させてもらった。といっても駅前留学校が全面サポートなので日本人が20人くらいパックで組み込まれており、言ってしまえばツアー旅行みたいなものだった。当時は「日本人とずっといると英語使う機会ないよー」なんて知らなかったし、なによりパッキング研修なのでエクスカージョンも充実しており、コアラやら遊園地やらビーチやら楽しいことだらけだった 。
 それでも英語学習の動機は薄れていなかった。向こうで知り合った韓国人と焼肉したり、ホームステイ先が恵まれていたりと英語ができないながらも生の英語に接する機会は格段に増えた。そんななか、一番印象に残っているのが現地で知り合ったワーキングホリデー中の日本人だった。その人と仲良くなってから「自分もワーキングホリデーしたい。」って思うようになった。今振り返ると、あの中途半端な1ヶ月の語学研修が、次への大きなステップに拍車をかけたのだろう。

  • 3年生 
    • ワーキングホリデーから大学院留学へシフトチェンジ  の巻

 ハッキリ言って不完全燃焼のままオーストラリアから帰国した。これがよかったのかしれない。くすぶっていた想いは未完成な若者に「将来の目標」を育むキッカケを与えてくれた。卒業したらワーホリでブラブラしたいという気持ちを具体的にするため関東で開催された「留学斡旋会社のカウンセリング」や「海外留学フォーラム」に積極的に参加するようになる。

とあるイベントで

私「ワーキングホリデーに行きたいんですけど…」
カウンセラー「君はまだ3年生?まだ時間あるんだから大学院留学しちゃいなよ。」
私「いやぁ、無理っすよ…」
カウンセラー「無理なことないよ。本気でやれば絶対行けるよ。大学院行ったらそこで取った修士学位が一生ついてくるんだよ!!
私「(身体に稲妻走る)そっか!!」
カウンセラー「つきましては御社の〇〇というサービスがありましt…」
私「やってみます!!あざーした!(逃亡)」

 さて大学院行くためにはIELTSなる語学試験をしなければならないようだ。その当時の私の語学力は

    1. TOEIC650点(本当に英文科の生徒か!?)
    2. 英語必修科目を落として東京と神奈川を往復する(キャンパスが2つあるからマジで遠い)

TOEICは何もしなくても650点取れて安心した(←安心すんな!)からそれ以降受けてない。そんなことより正体不明のIELTSに焦点を当てる!こんな語学力の自分でも営業トークに乗っかって色んな留学斡旋会社を調べまくって、とある会社のもとネイティブとIELTS対策レッスンを開始する。

  • 3年生〜4年生
    • IELTSの襲来と、装備としての「英英辞書」 の巻

 3年生のゴールデンウィーク後に本格的に大学院留学に向けて勉強開始!生まれて初めて能動的な英語学習が始まった。当時の私の語学力はIELTS5.5(TOEFL-I, 61)と(自社調べだが)診断されたのだが、大学院入学には最低IELTS6.5が必要なので猛勉強の必要がある。今でも印象に残ってることは初めてネイティブとレッスンして言われた
「あんた!英英辞書買いなさい!で、毎回レッスンに持ってきなさい!」
そこで買ったのがOxford Advanced Learners Dictionaryである。2000ページ程の本を毎回持ってきて、まともに話せない私がレッスンでやらされたことは「英単語を英語で説明する」ことの一点のみ。

例えば前述の目的地を答えるタスクだと

私「……so, you can get to the station on the left side.」と答える
先生「Umm…What is station?」
私「station!? (ステーションは駅のことだよ、バカヤロウ!)Well…」
先生「Hey. Dictionary!」
私「(レッスンそっちのけで辞書をひく)station is… a place where trains stop so that passengers can get on and off」
先生「Thank you. So, what is passenger?」
私「(パッセンジャーは乗客のことだよ、バカヤロウ!けど英語で説明できねぇ)OK. Passenger is…」
この繰り返し∞ループ。
私が英語学習に本気になったのはこの英英辞書を持つようになってからである。
そしてこのトレーニングは極めて合理的で、後の英語学習の土台となった。

  • 4年生夏休み 
    • 能動的海外語学研修の結果はIELTS speaking5.0(英検2級レベル) の巻

 さて、この後IELTS対策のためレッスン先を転々と変える。ネイティブの先生にはスピーキングとライティングの添削をメインに受講した。いわゆる試験に勝つためのノウハウを鍛えられた。それと同時に日常的にBBC Learning EnglishからBBC World Serviceまで英語のラジオ番組をpodcastで聴きまくった。この頃はネイティブからのフィードバックが怖くてレッスンに行くのが本当に苦痛で仕方なかった。毎回フルボッコされに行くのは強い精神力がいるのだ。世はまだ売り手市場ワッショイワッショイだったので、自分だけ留学というマイノリティな道を選んだのも精神的にしんどかった。
 4年生の夏休みに留学に備えて下見がてら1ヶ月ほどイギリスのボーンマスに語学研修に行った。語学学校ではIELTS対策も兼ねており帰国してすぐにIELTSを受験する段取りでいざ修行に向かった。語学学校でも特に真新しい勉強はしていない。ただ単身で渡英したことは精神的に強くなったし、英語はやっぱただの道具だって再確認した。しかし、ここに思わぬ罠が潜んでいた。
 帰国して9月にIELTSを受験した。そう何回も受験できる受験料(¥24,150)でもないので一発勝負に賭けていた。IELTSは各4技能の点数の平均(overall)がもとになる。まぁ、間違いなくIELTS overall6.0は取れたからpre-sessional大学院準備コースには滑り込めるだろうという手応えはあった。結果としてIELTS 6.0は取れました。が!!!!!なんとspeakingの点数が5.0という始末!これって資料によるとTOEIC650点、英検では2級レベルみたいですね…
 さすがにこの点数はショックでした。もうIELTSを受験する体力はなかったので再受験せずになんとか大学院準備コースには滑り込めましたが自分が今まで避けてきたことを可視化した瞬間だった。きっと試験では文法ムチャクチャでマシンガンのように質問と無関係なこと話したのが原因だったのだろう。
 ここからスピーキングとの闘いが始まった。スピーキングはやっぱり話す相手とアウトプットが必要だ。今まではフィードバックで凹んでたけど、このフィードバックは全部肥やしになるって思い始め、この頃にはフィードバックに打たれ強くなっていた。この頃も特筆すべき勉強はしていない。とにかく英語で考える習慣は忘れずに過ごしたくらいである。後にこのフィードバックという分野が修士論文のテーマになるとは…

  • 4年生後半から卒業まで 
    • 大学院合格しても残る不安 の巻

 大学院の専攻は英語教授法なのだが、学部時代の私は英語教育学や言語学なんて全く興味なく、英文学、日本文学など文学畑にドップリで、ゼミはシェイクスピアなどの舞台芸術論を専攻した。だから英語に関しては大学院に行くための切符程度のスタンスで、卒業論文ハムレットについて英語で書き上げたが、それも院のためのトレーニングとしてやり切った。4年生の時は本当に図書館に引きこもって自学自習ばかりしていたが、飽きっぽい自分はシャドーイングとかそういうテクニックにこだわらず、ひたすら英英辞書をひきまくる作業を続けた。それが一番自分に合っていたから。


  • 英国大学院
  • 大学院準備コース 
    • 英英辞書+英語で書かれた英文法書 の巻

 課題をクリアすれば大学院に入学できるという大学院準備コースでは主にアカデミックに4技能を鍛えた。ディスカッションやプレゼンやライティングは授業で鍛えられたので、それを吸収すれば自ずと力がついていった。そこで力を注いだのがやはり苦手分野のスピーキングとライティングであった。特にライティング課題の添削されたフィードバックを自己分析して、自分に合う参考書で「なぜ間違ったか、どう間違ったか」を理解するようにした。この頃から英英辞書+英語で書かれた英文法書を手にすることになる。

  • 英国大学院にて 
    • how to learnからwhat to learn の巻

 何度も言っていることだが、海外で勉強するってことは「英語を」勉強する場所でなく、「英語で」勉強する場所なのだ。英語が生活の一部だったので変に意識して英語を勉強した記憶がない。ただ知らないことを英語で調べる、言いたいことを英語でリハーサルするってことを無意識で習慣付けていたと思う。言い換えると「how to learn」より「what to learn」への変化とも言える。つまり、ディクテーションなどのテクニックが先行するより、「自分に今何が足りないか分析」すれば自ずと「何をすべきか」は淘汰されて自分に合ったものが出てくるというもの。私にとってそれは「フィードバックからの気づき」と「英英辞書での練習」だったわけだ。

  • 大学院修了して 
    • 「ナントナク英語」からの脱却 の巻

 さて、この駄文を読んでくださった読者のかたはもう気づいているだろう。私は「受験英文法」を意識して英語を勉強したことがないのだ。リーディングもIELTS対策のスキミングとスキャニングの練習ばっかりしたから、英語構文なんて気にして読んだことない。私はテキトーな人間なので「tolerance of ambiguity(曖昧さに対する寛容性)」をもの凄く持ち合わせている学習者なのだ。だから今でも「英語なんてSVOと単語の組合せ」だと言い聞かせている。
 そんな自分も今度は英語を教える立場になる。きちんと体系的に教える知識と技術がないといけないと帰国してから焦っている。これからは英語の知識を商売道具にするわけだから大西先生の♡シリーズ、ミントン先生の日本人の英文法シリーズ、久野・高見先生の謎解き英文法シリーズに加えて、ロイヤル英文法などの文法書を計4万円相当をまとめ買いした。これも全部体系的に教えるため。
こうやって「英語学習歴」を振り返ると、本当に「なんとな〜く」英語を勉強してきたなぁと再認識した。というのも本気で英語に取り組み始めたのは大学3年生(20歳を過ぎてから英語を学ぼうと決めた)からなぁ。それでも全部無駄じゃないと信じてる。
 だって全ての歴史が今の自分を形成するために必要不可欠だったから。


  • まとめ

 [twitter:@anfieldroad2]さんと企画会議の時に盛り上がったのだが、英語学習歴を振り返って各々が「どういったことに重きを置いているのか」浮き彫りになったら楽しいねって話をした。
そう考えると、結局私にとっての英語学習歴は「〇〇勉強法」や「恩師との出会い」でもなく単なる「キッカケ」の履歴だった。
 具体的な勉強法は皆無の英語学習歴で、強いて一点挙げるなら「英英辞書を使って英語を英語で理解する」くらいで、これが本気で英語に取り組みようになった決意の表れだったのだと思う。


 英語学習は体力と精神力がいるなーと実感。 私の場合、ある出来事をキッカケに自分なりに考えて自分の方法(Learning Style)を模索して、ぶち当たった壁を乗り越えれるかどうか…ってこれってどの教科の学習にも通じるわな。
 だからどんな学習でも「遅かれ早かれ歩くことを止めない限り発達していく」と思うんだ。 実際IELTS speaking5.0は今でも負の勲章だけど「こんな自分でもできたんだぜ」って伝えたい。消去法で残った英語だけど、今はこいつが大好きだから今度は英語が嫌いな生徒に「英語もそこまで悪いやつじゃないでしょ?」ってことを伝えていきたい。

エリス先生の講演に参加して、「緩やかな演繹法」を思い出した。

2月15日に関西大学で行われたエリス先生の講演に参加してきました。
SLAの重鎮は赤い服が似合うなーと感心しながら講演始まり。

    • 1st session: The Definition and Measurement of ‘Second Language Acquisition’
    • 2nd session: The Significance of the Implicit versus Explicit Distinction for Language Pedagogy


内容的には特に新しいことはなかったので、私にとっては良い復習の機会となった。
1st sessionは理論面の説明のみで、ぶっちゃけ良い感じの部屋の暖かさと統計結果の説明で瞼が勝手に降りてきた(耐えたけど)。
一方、 2nd sessionは理論をもとにした実践を考えてみようという進行だったので凄く楽しかった。
やっぱ自分は実践で試したくてウズウズしてるんだな(・∀・)

  • Consciousness-raising taskの可能性

ネタバレかもしれないけどエリス先生の今回の講演の2nd session の結論は
「明示的vs暗示的って極端に考えるんじゃなくて、要は2つのバランスね(・∀・)」
ってこと。

「結局そっか(´・ω・`)」って思ったけど、このバランスって第二言語の指導者として忘れてはいけないことだし、(多分自分にとって)永遠の課題になるんじゃないかなと思った。

で、そのバランスを考慮して最後に紹介されたのがConsciousness-raising task

Consciousness-raising (CR) task ってなんぞ?配られたハンドアウトを引用すると

    1. A specific linguistic feature is isolated for focused attention
    2. the learners are provided with data which illustrate the target feature
    3. the learners are asked to perform one or more operations on the data
    4. the learners are expected to utilize intellectual effort to understand the target feature
    5. the learners may optionally be required to verbalize a rule describing the target feature

ざっくり言うと「学習者に、ある言語形式を発見させる(気づかせる)」方法。
つまり「指導者はさりげなく(やや暗示的に)言語形式を教えながら、明示的知識(文法ルールなど)を学習者自らが発見する」というもの。



大学院時代の課題でTask-Based Language Teachingを扱ったとき、CR taskは心に引っかかっていた。
Fotos(1993)の文献を読んで日本人を対象にCR taskを実践していたので、将来絶対使えるはずと思ってたけど、今さらこのタスクのおもしろさに気づく。まー明示的、暗示的〇〇を理解してないとおもしろさに気づかなかったんだろうけどさ。
ちょっと引っ張り出してきて時間ある時に読みなおさないと。

  • 「緩やかな演繹法」は自分の理想に近いぞ!?

CR taskが紹介されて、ふと思い出したことは池上彰さんの「伝える力」で紹介されている「緩やかな演繹法」っていう考え方だった。

CR taskってMohamed(2004)は「演繹的」と「帰納的」を両方論じてあるけど、私的にはEllis先生のどっちも演繹、帰納どちらも含んでるという主張に賛成。
こういう2つのバランス考慮したときに池上彰さんの「緩やかな演繹法」って言い得て妙だなーと感心した。


池上さんはジャーナリストがフィールドワークすることを例にとって「緩やかな演繹法」の効用をこう説明している。

 何もない白紙の状態から調査して、文書をまとめるのは、文字通りゼロから積み上げるわけですから、大変な手間と時間がかかります。
 しかし、仮説を立てて現場に臨めば、たとえ仮説とは状況が大きく異なっていても、土台があるので、軌道修正をすれば、対応は比較的容易にできるのです。
 つまり、白紙の状態で調査を開始するよりも、効率はずっとよいといえます。(p.115)

これを、かーーーーーなり強引に(私的に)SLAとくっつけると

 何もない白紙の状態から調査して、a new target language feature を与えるのは、文字通りゼロから積み上げるわけですから、大変な手間と時間がかかります。
 しかし、information gapを与えて臨めば、たとえ>pushed outputとは状況が大きく異なっていても、土台があるので、notice and modify をすれば、対応は比較的容易にできるのです。
 つまり、白紙の状態でexplicit instructionを開始するよりも、効率はずっとよいといえます。

まぁ現実的にクラスルームでできるかどうかは置いといて、これがスムーズにできるようになるのが自分の理想なんですよね(*´Д`)
(ツッコミどころ満載なのでツッコんでいいっすよ(;´∀`))


大切なことはメソッドをガチガチに固めるのでなく、指導者が自分なりの信念(〇〇アプローチでもなんでもいいじゃん)を持って柔軟に対応していくことなんじゃないすかね。
この柔軟に対応するって意味で、エリス先生のスタンスは非常に好感が持てたな。



エリス先生も言ってたけど
UseとProduceは一緒じゃないよ( ´∀`)bグッ!」って言ってたからちゃんとProductionに繋がるtaskをしかけなきゃいけないんだよな〜。
あと「Uptake chart」ってのも自分なりに考えてみようかな〜。
あー勉強せんといかんな、こりゃ。


まずはCR taskとEFL coursebookの関係を考察してるNitta and Gardner(2005)から読み直します。


※ CR taskの基本的知識はWillis and Willis (1996)にあるんですけど、ググったら出てきました。
  
指摘あるならコメントくださいね。

References

池上彰(2007) 伝える力「話す」「書く」「聞く」能力が仕事を変える! PHPビジネス新書 

Fotos, S. (1993). Consciousness raising and noticing through focus on form: Grammar task performance versus formal instruction. Applied Linguistics, 14, 386- 407.

Mohamed, N. (2004). Consciousness-raising tasks: a learner perspective. ELT journal, 58/3, 228-237.

Nitta, R. and Gardner, S. (2005). Consciousness-raising and practice in ELT coursebooks. ELT Journal, 59, 3-13.

雑食系英語教育 時間あるうちは幅広くセミナーやら、勉強会やら、卒修論発表会に行っとこう。

帰国して参加したもの

    1. 12月23日に中高英語の実践例を勉強するためにe-prosフォーラムで久保野先生、田尻先生の講演を聴き、
    2. 1月29日に小学校英語の実情と実践例を勉強するためにNellie’s ELT Festivalに出席し、
    3. 2月11日に学生主催であり意見交換会として[twitter:@Rikakkuma]さん主催の同志社大学での勉強会に参加し、
    4. 2月12日に自分の修論と日本の大学院で書かれた修論を比較するためにKELES主催の卒修論発表会にお邪魔し、門田先生の講演を聴いてきた。


まぁ、こうやって見ると一貫性なく見えるかもしれないけど、自分の中ではそれぞれに目的意識を持って参加して、全て肥やしになっている。


twitterは情報収集ツールとして抜群に機能している。イギリスにいた時はtwitterを通して色んなセミナーやらフォーラムがあることを知っていたので、帰国したらできるだけ多くに参加してみたいなーという思いはあった。

参加したなかでフォロワーさんとお会いしたり、お酒を酌み交わしたりした。自分のこれからについてアドバイス貰ったり、自分が今考えてることをぶつけてみたりして本当に良い機会だったし、参加しなければ出会えなかった情報もあった。


参加した会は全部英語教育に関することだ。
好き嫌いなんて言ってる立場じゃないし、吸収できるものはできるだけ吸収して、自分に合ったもんを取捨選択していこうと思う。



1つ1つ振り返ってもいいのですが、とりあえず今回は昨日参加したKELES@関西国際大学の感想から。

正直に言うと、イギリスで書いた自分の修論が日本で書かれた修論と比べてどのくらい差があるのか知りたかったので参加した。
だから、行く前は「こんなもんかいε- (´―`*)フッ」と思う楽しみと、
「やっぱすげぇ。自分ヤベェ(;´Д`)」と思う恐怖が混在していたんですね。

修論は3つしか見ていないので一般化できないのですが、個人的な感想を。

    1. 日本のコンテクストを暗黙の了解として研究が行われている。
    2. イギリスのプラグマティックな精神は時として残酷。
    3. 発表者のプレゼンがあまり上手じゃない…かも…

1

まず一つ目ですが、日本のコンテクストが大前提で話が進んでいるのが羨ましかった。
個人的にSLA研究とコンテクストの関係は凄く大切と思っている。日本の教育現場と直結させたいなら、当然日本のコンテクスト(学習環境、学習者レベルetc)で研究は行われるべきである。
自分の修論では日本人学習者を対象に行いたかったが、現実的に不可能だったので、様々な国籍の学習者を対象にした。
そのような経緯もあって、発表も質疑応答も「日本では〇〇」という共通認識のもとで進んでいて、理想のコンテクストにアクセスしやすい日本の大学院という環境は単純に羨ましかった。

2

自分の修論との比較がスタンスとしてあったので、日本の大学院での研究はもしかしたら凄い緻密なんじゃないの?と感じた。
統計の結果に疑惑?というか疑問を抱いた方もいたようだが、私が見た発表(特に私の専門のfeedback)ではそこまで統計に関して違和感は感じなかった。


というのは、なんせ私は統計を独学で挑んだから不勉強極まりない(;・∀・)

私がイギリスで勉強したコース(教育学部、英語教授法)では統計に関する授業は皆無で、必修科目では「メソッド叩き込む系」の授業が主でした。
それに比べて、日本の大学院では(本当に個人的意見ですが)統計を勉強できる時間に比較的余裕があるんじゃないかなーと思ったわけです。

私の場合、修論書く時になって初めて統計にぶち当たるわけですが、そりゃもう1年というコースの短さは承知してましたけど、本当に誰も助けてくれない状態から統計に挑んだわけです。

イギリスはかっこ良く言えば「プラグマティック」、愛情を持って言えば「本人の自主性リスペクト」、悪く言えば「投げっぱなし」なのである。

ですから、スーパーバイザー(担当教諭)と話し合うにも、「やるのはアンタやねんから、好きにせぃ」という投げっぱなしもいいとこ。
もう修論書く頃にはこういうイギリスの洗礼は受け慣れていたので自力でなんとか乗り越えたわけです、ハイ。

3

自分もあまり偉そうなこと言えないけど、プレゼンの練習もっとしたらいいのにと思った。
たしかに、20分で先行研究、方法、手順、結果、考察、まとめ ってのは時間が足りないのはわかる。ただ、立ち振る舞いだとか、パワポの使い方とかもっと工夫できるのにと思って仕方なかった。
私が勉強したコース(大学院準備コース含む)ではアカデミックプレゼンの練習を嫌というほどさせられた。
まず、セリフは覚える。パワポはできるだけ見ない。会場全体を見渡す。いっぱいの基本の技を叩き込まれた。
今回私が見た限りでは英語でのプレゼンはなかったけど、せめて第一言語である日本語でプレゼンできるなら基本的な諸動作に気をつければもっと良い発表になったのにと思った。

  • KELESで得たもの

今回の発表会で得たものは、
「私は統計や、産出データに興味があるんじゃなくて、そこから得られた考察と現場での発展の方法に興味がある」
ということ。

誤解のないように補足するが、研究であるならば、手順や統計データが正確であるというのは大前提であり、この重要性は否定なんてしない。多分、研究者の立場の方は統計の方法に疑問を抱いたら、そこを突っ込みたくなるんだろうなーと思った。


しかし、個人的には統計の結果の是非よりも、その結果からどう現場に繋げるアイディアをひねり出せるか。
こっちのほうが興味がある。


そんなこと考えてたら、ますます自分は研究者に向いてないし、学校現場寄りなのかなぁ。なんて勝手に思った。

 小学校学習指導要領解説(外国語活動編)を読んで、「コミュニケーション」という文字が25ページ中110回も出てきて驚いた。

[twitter:@EnglishSquare]さんのツイートで知った1月30日に行われるNeLLie’s ELT Festival大阪に参加予定なので、自分の意見だけでもまとめてから参加しようと思い、学習指導要領を購入して読んだ。<構成>

  • はじめに
  • 疑問 1:で、「コミュニケーション」って何(;´Д`)?
  • 疑問 2:1年で35時数しかしないのにこんな目標たてたの?
  • さいごに
  • はじめに

初めて学習指導要領手にしたけど¥72とお手頃価格!
でもその値段も納得の薄っぺらさ。
だって、計50ページあって外国語活動に関する記述が25ページで
残り25ページが付録ってどういうこと(;´∀`)
まぁこれから開始するんだから仕方ないってことなのかな。


で、読み始めたらもぅなんだかなァ(;´Д`)って感じっす 。
なんか大学生がレポートの字数稼ぐみたいに同じことを違う言い回しで書き連ねてるだけ。
手っ取り早く小学校における外国語活動の概要知りたい方は
pp.34,35の2ページを読めば終了です。
はい、2ページですw


  • 疑問 1:で、「コミュニケーション」って何(;´Д`)?

指導要領が言いたいことは

    1. 体験的
    2. 国際理解
    3. コミュニケーション

= 体験的なコミュニケーションを通して国際理解を図る
この3つのゴリ押しです。


まずは言葉の定義無しに進んじゃダメでしょう。
(この際、「生きる力」はスルーしますΣ(´∀`;))
問題は「コミュニケーション」という言葉の曖昧さ。
「コミュニケーションの定義は1つじゃない!」って言われたらそうなんだろうけど…


まずは、私の考える「コミュニケーション」とは1月23日にツイートしたのだが

結局全部コミュニケーションでしょ。全部の後ろ側に人が立っているわけだ。人に書かれたものを読んで、人が話しているの聞いて、人に向かって話して、人の言っていることを聴く。全部コミュニケーションなんだよ(´ε` )
posted at 02:00:00

つまり、
「正確に読んで、書いて、聞いて、話すことができる能力」って言うと字数多いし、
長ったらしいので、ここは「コミュニケーション」と言っておこうってな具合。


よし、この考えを装備して指導要領に挑もう!
と思ったら、残念ながらこの学習指導要領本体には記述は皆無(;・∀・)why?
コンセンサス取りにくい議題を挙げるなら、
まず文科省の考える「コミュニケーション」が欲しかったなぁ…
従って、110回もコミュニケーションって言われても
私は110回「だから何?(;・∀・)ハッ?」となっただけでした。


で、自分で調べましたよ。
文部科学省曰く

4技能を育成するための指導がバラバラに行われていることが問題。読むことと話すことが結びついておらず、文法は別に教えられており、文法を活用できないという現状がある。4技能を総合的に指導し、コミュニケーション能力の育成を図ることの意義は、4技能を総合的に学習することで、使える、発信できるということにあり、そのことを明確にすべき。

つまり、文科省様もコミュニケーション=4技能を指しているわけだ。
じゃあ私と同じ考えを持っていて安心だ ( ´∀`)bグッ!


ん…
待てよ…
これ小学生対象にできるか?
いやいやこれができる外国語話者ってなかなかいませんよw


高い目標を掲げることは悪いことじゃない。
ただ高い目標を掲げて、そこに向かって歩き始めるのはいいけど、
文科省君はまだ小学校英語ビギナーなんだから。
「俺、登山始めるわ。目指すはエベレスト!みんな付いてこい!」
ってビギナーに言われても、こっちはどん引きですよ…


だから、もう「コミュニケーション」って言葉は既に形骸化してしまっている気がするんだな。


  • 疑問 2:1年で35時数しかしないのにこんな目標たてたの?

まず1年間で35時数ってヤバクない?
1時限が45分って考えると、45分×35回=1575分
1575分って聞こえがいいけど「タウリン1000mg=1g」のように
1日って60分×24回=1440分だから…
1575分=1日チョイ…( ´∀`)
つまり睡眠時間差し引いても1年間で1日半くらいしか英語の授業ないってこと。


いやいや。
1年で1日半は少ないでしょ。
いくら吸収が早い時期だからって、これだけで登山できないっしょ!
外国人と3日(1日半×2年)一緒に過ごしたからといって
体験的な国際理解をコミュニケーション通してできるかっていったら常識的に無理なんじゃないのw


  • なんでそんなに見栄っ張りなの!?私が考える小学校英語の目標設定。

そもそも外国語活動新設の趣旨として「中学校との円滑な接続」(pp.5)とあるなら、なんでその本質に焦点を当てないんだろう。

中学校に入って最低限身につけていて欲しいスキルって
私が思いつく限りでは

    1. 音声やリズムが日本語とは違うことを理解している。
    2. 曜日や月などシーケンスのある簡単な単語を4技能で使えて理解している。
    3. アルファベットが正確に読める、書ける。


1.はチャンツやリズムの指導を音楽と絡めて導入することは小学生には親しみやすい項目だと思う。
(ちなみに私は小学校の時、歌を歌うなんて恥ずかしくてしたくなかったが、少なくとも聴いていた音楽は今でも身体に染み付いている)


2.に関してはチャンツを絡めて新しい知識の導入。また、「普段使ってない外国語の難しさを体験する」(p.10)とあるのでまぁ良しとする。


3.に関しての記述が全くなかったのは本っっっっっ当に残念でした。
スムーズに中学校で英語始めたかったらアルファベットを書ける、読めるは必然でしょう。
私は中学で初めて英語に触れたけど、漢字練習よろしく、ペンマンシップでひたすらアルファベットの練習させられました。
それがなくなるだけでもいいと思う。
それとも、もう最近の小学生は全員パソコンとかのおかげでアルファベットは余裕なんですかね…
それでも、なかには「pとqとb」の違いがわからない友人もいたので、
こういうことは早期導入によって是正されるんじゃないかな。


この3点が2年間70時数で実現可能な項目だと思うんです。
あとは「コミュニケーション」という名目で+αの情報や知識を与える程度でいいと思うんですよ。


な の に
早期導入=いろいろできる
って考えたのか知らないけど、あとのせサクサク感が否めない。


だから学習指導要領内容に6項目もいらん!!!
6項目のうちやるべきこと、いや、できることは1項目だけ

(1)外国語の音声やリズムなどに慣れ親しむとともに、日本語との違いを知り、言葉の面白さや豊かさに気づくこと。 (p.34)

これを軸に上記の3点がクリアできれば、外国語学習の導入は成功なんじゃないですかね。


  • さいごに

他にも疑問点はいっぱいあるけど、長くなりそうなのでストップ。
結局4技能とかいいつつ、
オーラルコミュニケーションしか考えてないんだなとガッカリしました。


もちろん、学習指導要領が全てとは言いません。
ただ、これに沿った検定教科書で授業が行われる。
そこからアレンジするのが教師の力量ってもんです。


一応、私なりにこの指導要領の内容に沿った指導アイディアを考えてみたのでそれは次回記載してみます。

インプット過多、アウトプット不足の状態を私は「表現の便秘」と勝手に呼んでいる。


下のコラムは学部時代に見つけた私の一番のお気に入りです。
大学院進学という道を選んだ理由はいくつかあるのだが、このコラムも進学を駆り立てた要因の1つであり、修論のテーマにもなっています。
ほぼ日刊イトイ新聞のコラムより。このコラムは1分で読めます。


ダーリンコラム 空っぽの器


  • 詰め込みすぎるとパンクする。

私は本を読むことは好きだし、音楽を聴くことも好き。
演劇鑑賞も好きだし、建築を見て回るのも好き。
でもどれも受動的な趣味ばかり。

本を読むのは好きだけど、書くことは下手くそ。
音楽も聴くことは好きだけど、演奏することは得意じゃない。
演劇も演出や台本に興味はあるけど、演じることは無理。
建築も構造とコンセプトを鑑賞することは好きだけど、デザインする技術はない。


んー(;´∀`)
だから学部時代は好きなことしたけど、どこか頭でっかちになりすぎていた。
本当に理屈っぽく、口ばっかり動く人間だった。
友人から「あなたは簡単なことを難しく考えすぎ」ってよく言われた。


ヤバい。
このままじゃ、なんとなくヤバいぞ。
パンクするぞって思ってた。


  • 「表現」は「排泄」と同義

そんなある日、
歌手のCoccoがどこかの雑誌で
「自分の作品は排泄物と思ってる。食べたものしか出てこないから。」
と言っている記事を見かけた。


そこで気づいたことは、
「私はインプット過剰摂取につき、不健康になっている」ということ。
あー「メッチャ食べてるけど、全然排泄してないー。」
これまさしく「表現の便秘」状態! ((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル


それからというもの、とにかく自分を表現することに努めた。
理屈に行動が付いてくるように。
そんな気持ちを表しているのが上のコラムというわけだ。


  • 「吐きだす場所」としての海外

色んな理由から留学しようと決断したけど、
留学は初めて自分で選んだ「吐き出す」場所だった。

私を知っている人間なんて誰もいないから、
失敗してもそれは全て肥やしにしようって考えた。


それは今でも私の信念に深く根づいている。
例えば、修士論文のテーマは「アウトプット」と「フィードバック」を研究した。
言い換えれば、「表現すること」と「失敗の肥やし」の研究だ。

表現することは怖い。失敗も怖い。
怖いけど、表現して、間違って、指摘されて成長していくことを知ってしまった。


だから
失敗してなんぼのもん (ノ´∀`*)
これからそれを教育現場で伝えていきたいと思っている。

「留学で人生を棒に振る日本人」栄 陽子 (2007)を読んで、留学において英語を勉強するんじゃなくて、英語で勉強する覚悟があれば失敗しないことを学ぶ。

評価☆☆☆☆☆ 
http://goo.gl/RDtc0

  • 本書の概要

35年以上、留学カウンセラーとしてアメリカの高校、大学、大学院への進路指導している著者が自身の経験をもとに、「こういう人が留学で失敗しています」とこれから留学を考えている人、または子供を留学させたい保護者に向けてアドバイスしています。


  • 失敗する人は総じて準備不足

1〜2章では留学で失敗してきた日本人を実に軽快に述べています。
失敗するのはこんな人たち

例)

    • 日本人だけのコミュニティで過ごしている人
    • 留学=英語できるようになる信仰
    • 親の英語力への願望を押し付けられた子供たち


ここで共通しているのは、みんな受動的に留学した人たちです。
さらに、その失敗に拍車をかけているのは明らかに準備不足な人たち。


3〜4章では各国の教育システムの違いを理解しないで留学しちゃった人たちを紹介しています。
本書は主にアメリカの学校をもとにしているので例えば…

例)

いやいやこりゃ失敗するわという感じ(;´д`)トホホ…


私はイギリスの大学院1本に絞っていたので、アメリカは端から眼中になく、本書を通してアメリカの教育システムの概要を知る部分もありましたが、自分が住む国のことくらい調べようよ〜( ´∀`)


ちなみに、私はイギリスに関しては自力で情報収集しました。
そりゃ、石橋を叩いて渡る前にその石橋の設計図見て安全かどうか確かめるくらいの勢いで調べましたよ。
そのために留学する1年前に単身でイギリスに1ヶ月間語学留学して下見したくらいですから(`・∀・´)


生活費、学費、寮費、シラバス、大学の強み、弱み、街の治安をHPや無料カウンセリングに積極的に参加して情報を集めた。
もちろん、書類も全部自分で集めたし、推薦状をもらった先生になぜこの大学を選んだのか説明しまくった。


特にコース選びは当時twitterのようなお役立ちツールもなかったので、諸先輩方に連絡してアドバイス貰って慎重に選んだ。あと、イギリスから現地の大学のスタッフが来日している時は興味のない大学であってもカウンセリングに出向いて現地の情報を聞き出したりもした。
そうした数少ない情報を処理して自分に合ったコースを選んだのは本当に苦労した。


だってバカにならないお金払って後悔するとかアホすぎるし。
だから、こんな私が本書を読むと呆れて笑ってしまうんですよね(*´ω`*)


  • 失敗しないための留学エージェント探し

留学カウンセラーの著者が留学斡旋エージェントばっかりに頼ると痛い目に遭うぞーというのは凄く好感が持てる。


そこで留学カウンセラーの著者が「質のいいエージェントを見極める方法」を紹介している。
それは1つのエージェントに頼らずにいくつかと比べるというもの。
当然ですよね。自分で家を借りる時に1つの不動産屋で即決する人は少ないでしょう。
(もちろん留学エージェントに頼わざるを得ない人(eg.なかなか時間のない社会人)もいるだろう。でも、私がイギリスで出会った社会人は皆、目的がハッキリして勉強しているのでコース選びに後悔しているような人はいませんでした。)


私自身、エージェントは3つくらい比べたのですが、結局有料のサービスは手を出さず、無料で得られる情報だけおいしく頂戴しました♪〜(´ε` )
だから、時間がたくさんある学生は絶対に自力で情報収集すべきです。


  • これから留学を漠然と考えている人は是非読むべき!

留学を漠然と考えている人は読むべきです。
でも、この本を読んで「しんどそうやから無理(((( ;゚д゚))))アワワワワ」と思うなら留学を失敗する可能性あります。
これを読んで「しんどそう( ・´ω・`)だけど自力でやってみよう(*゚∀゚)」って思ったらきっと大丈夫です。
そして、「絶対留学したい(#゚Д゚)ゴルァ!!!」と思ってる人は、既に自分で情報収集して準備しているはずです( ´∀`)


現地で面食らっても、それは自分の情報収集能力が不足しているから。
それくらいのモチベーションがないと1〜2章で述べられているような失敗例の1つに加わってしまいますよ。


  • ps.

あと忘れてはならないのが保護者への苦言。
著者もカウンセラーとして保護者へのアドバイスがまとめられているのですが、章と章の間のコラムでは筆者自身が一人の親として留学をどう感じているのか簡単に綴られています。
いくらカウンセラーでも自分の子どもには甘いようですね。そんな弱音が垣間見えたのも、また好感が持てた。親としての体験を綴った本も出ているようなので次はそれを読んでみたいです。