インプット過多、アウトプット不足の状態を私は「表現の便秘」と勝手に呼んでいる。
下のコラムは学部時代に見つけた私の一番のお気に入りです。
大学院進学という道を選んだ理由はいくつかあるのだが、このコラムも進学を駆り立てた要因の1つであり、修論のテーマにもなっています。
ほぼ日刊イトイ新聞のコラムより。このコラムは1分で読めます。
- 詰め込みすぎるとパンクする。
私は本を読むことは好きだし、音楽を聴くことも好き。
演劇鑑賞も好きだし、建築を見て回るのも好き。
でもどれも受動的な趣味ばかり。
本を読むのは好きだけど、書くことは下手くそ。
音楽も聴くことは好きだけど、演奏することは得意じゃない。
演劇も演出や台本に興味はあるけど、演じることは無理。
建築も構造とコンセプトを鑑賞することは好きだけど、デザインする技術はない。
んー(;´∀`)
だから学部時代は好きなことしたけど、どこか頭でっかちになりすぎていた。
本当に理屈っぽく、口ばっかり動く人間だった。
友人から「あなたは簡単なことを難しく考えすぎ」ってよく言われた。
ヤバい。
このままじゃ、なんとなくヤバいぞ。
パンクするぞって思ってた。
- 「表現」は「排泄」と同義
そんなある日、
歌手のCoccoがどこかの雑誌で
「自分の作品は排泄物と思ってる。食べたものしか出てこないから。」
と言っている記事を見かけた。
そこで気づいたことは、
「私はインプット過剰摂取につき、不健康になっている」ということ。
あー「メッチャ食べてるけど、全然排泄してないー。」
これまさしく「表現の便秘」状態! ((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
それからというもの、とにかく自分を表現することに努めた。
理屈に行動が付いてくるように。
そんな気持ちを表しているのが上のコラムというわけだ。
- 「吐きだす場所」としての海外
色んな理由から留学しようと決断したけど、
留学は初めて自分で選んだ「吐き出す」場所だった。
私を知っている人間なんて誰もいないから、
失敗してもそれは全て肥やしにしようって考えた。
それは今でも私の信念に深く根づいている。
例えば、修士論文のテーマは「アウトプット」と「フィードバック」を研究した。
言い換えれば、「表現すること」と「失敗の肥やし」の研究だ。
表現することは怖い。失敗も怖い。
怖いけど、表現して、間違って、指摘されて成長していくことを知ってしまった。
だから
失敗してなんぼのもん (ノ´∀`*)
これからそれを教育現場で伝えていきたいと思っている。